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東京地方裁判所 平成5年(ワ)12297号 判決 1996年3月27日

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  原告らが被告の従業員としての地位を有することを確認する。

二  被告は原告甲野太郎に対し、金八〇万七五〇〇円及び平成五年六月一一日から別表(一)「支払期日」欄記載の日限り同表「金額」欄記載の金員を支払え。

三  被告は原告乙山春夫に対し、平成五年七月一日から別表(二)「支払期日」欄記載の日限り同表「金額」欄記載の金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが、原告らと被告会社との間で、嘱託契約が成立した旨主張して、被告会社の従業員としての地位の確認を求めるとともに、賃金の支払を求めた事案である。

(争いのない事実)

一 当事者

被告会社は肩書地に本店を置き、全国主要都市に本部九か所、支店七三か所、支社四八一か所、事務所一〇七か所、損害サービス拠点二二四か所を設け、資本金一〇〇〇億三九〇〇万円、従業員一万四〇五四名(但し、平成四年三月三一日現在)を有して火災保険・自動車保険等の各種損害保険業を営む株式会社である。

原告甲野太郎(以下「原告甲野」という。)は、昭和八年二月一一日生まれで、昭和二九年七月一日に被告会社に入社し、後記の定年年齢に達した当時、本店総合営業第二部業務課に勤務していた。

原告乙山春夫(以下「原告乙山」という。)は、昭和八年四月一〇日生まれで、昭和二七年四月一日に被告会社に入社し、後記定年年齢に達した当時、神奈川本部神奈川損害サービス部湘南損害サービス課に勤務していた。

被告会社には、全日本損害保険労働組合東京海上支部(組合員数七四名、以下「全損保東海支部」という。)と東京海上火災保険労働組合(組合員数約一万〇一〇〇名、以下「東海労組」という。)の二つの労働組合が存し、原告らはいずれも全損保東海支部に所属し、原告甲野は後記定年年齢に達した当時、東海支部執行委員、千代田区労働組合協議会副議長の役職に、原告乙山は後記定年年齢に達した当時、東海支部横浜分会委員長、全日本損害保険労働組合横浜地方協議会幹事の役職にそれぞれ就任していた。

二 定年後の再雇用制度

被告会社は、平成四年三月、全損保東海支部、東海労組と協議のうえ、次の内容の定年後の再雇用制度(以下「本件再雇用制度」という。)を発足させ、これを従業員に通知した。

1 身分・職務

特別嘱託社員として再雇用する。担当する職務は永年の被告会社における会社生活で培われた経験・知識を活用しうるものとする。

2 選任基準

被告会社が業務上必要と認めた場合に、定年退職の特別従業員で次の基準を満たす者の中から選任する。

(一) 従業員としての勤務成績が優れ、将来担当職務を誠実に実行する意欲を有すること。

(二) 心身ともに健康であること。

3 雇用期間

雇用期間は一年とし、満六三歳の誕生日の前日に属する被告会社の四半期の末日までの間嘱託契約を更新することができる。但し、過去の勤務状態・健康状態を考慮して一般嘱託として相応しくないと認められる場合には嘱託契約を更新しない。

4 就業条件

(一) 現行の嘱託社員就業規則による。

(二) 給与、臨時給与は嘱託社員の給与規定によって支給する。

5 実施時期

平成四年四月一日(同年三月末退職者から対象とする。)

右制度にいう「特別従業員」とは、被告会社の従業員のうち満五五歳を超え定年までの者をいい(従業員就業規則二条)、定年は満六〇歳であり(同四八条)、満六〇歳の誕生日の前日の属する四半期の末日に退職すると定められている(同四九条)。

再雇用制度により雇用した従業員に対しては、嘱託社員の給与規定による月給与、賞与を支払うと定められており、平成四年度(平成四年四月一日から平成五年三月三一日までの間に適用される。)の嘱託社員給与規定は、別表三のとおりである。

三 原告らの申入れ

原告甲野は、満六〇歳の定年により平成五年三月末限り退職となるところ、それに先立ち、平成四年九月三〇日に被告会社総合営業第二部次長山本勲に対し本件再雇用制度に基づく再雇用を希望する旨表明していたが、被告会社は原告甲野との再雇用契約を締結する意思がないことを表明してこれに応じなかった。

原告乙山は、平成四年一二月、湘南サービス課課長城所道明から再雇用を希望するかどうかの意向照会を受け、同人に対し再雇用を希望する旨回答した。しかるに、右城所課長は原告乙山に対し、平成五年二月一日、被告会社が原告乙山を再雇用しないことを決定した旨通知した。その後、原告乙山は、定年退職扱いとなる平成五年六月三〇日を前にして、被告会社に対し、繰り返し、自らあるいは全損保東海支部を通じて再雇用を申し入れたが、被告会社はこれを拒否した。

(争点)

一 原告らと被告会社との間に、原告らを特別嘱託社員として再雇用する旨の嘱託契約が成立したか否か。

二 仮に、右嘱託契約が成立したとした場合、被告会社が原告らの再雇用を拒否したことが解約権の濫用にあたるか否か。

三 原告らに適用すべき給与規定如何。

(当事者の主張)

一 再雇用契約の成立

1 原告ら

再雇用制度は、急速に高齢化社会を迎えつつある我が国の社会的要請に応え、従業員に対しとりあえず六三歳までの雇用機会を与えて生涯にわたる生活の安定に役立たせ、あわせて、長い被告会社での生活の中で培われた従業員の豊かな経験と知識を活用する趣旨で設けられたものである。右制度趣旨からいうと、被告会社が従業員を再雇用するかどうかは被告会社の自由意思に任せられているとはいえず、その意思決定は合理的制約を伴うものである。すなわち、被告会社は、特段の欠格事由のないかぎり希望する従業員を再雇用しなければならない。

被告会社は、本件再雇用制度の制定を従業員に通知した時点において、特段の欠格事由のないかぎり再雇用する旨を一般的に意思表示したのであり、特定の従業員が定年退職後の再雇用の意思表示をすることにより、被告会社の再雇用の申込に対する承諾があったことになり、当該従業員と被告会社との間に、就労の始期を定年退職の日の翌日とする再雇用契約が成立する。

前記のとおり、原告甲野は、平成四年九月三〇日に、原告乙山は、平成四年一二月ころ、被告会社に対しそれぞれ再雇用の意思表示をしたから、原告らと被告会社との間には、右各年月日をもってそれぞれ再雇用契約が成立した。

2 被告会社

本件再雇用制度は、定年退職者を無条件で再雇用するというものではなく、被告会社が業務上必要とした場合に、一定の基準を満たす者の中からこれを選任した上で、再雇用契約を締結するというものである。したがって、原告らが主張するような、特段の欠格事由がない限り希望する従業員を総べて再雇用するという制度ではない。また、被告会社は、原告が主張するような、一般的な意思表示をしたことはなく、被告会社と原告らとの間に再雇用契約が成立したという事実もない。

被告会社の就業規則によれば、従業員の定年は満六〇歳であり、満六〇歳の誕生日の前日の属する四半期の末日に(解雇の意思表示を要することなく)退職する、いわゆる定年退職制を定めている(就業規則四八条、四九条)。被告会社は、定年退職した以降も、被告会社で働きたいと考えている従業員に新しいライフステージを提供する等の観点から、それまで専任職に限定していた再雇用制度を改訂し、平成四年四月一日以降特別総合職及び特別一般職まで拡大適用することにした(但し、同年三月末定年退職者から対象とする)。本件再雇用制度は、満六〇歳で定年退職した特別従業員を対象に、被告会社が業務上必要と認めた場合に一定の基準を満たす者の中から選任して、両者の合意により再雇用契約を締結して雇用するものであって、実際にもそのように運用されている。原告らは、定年退職し、被告会社と原告らとの間の雇用契約はそれぞれ終了した。以後、被告会社と原告らとの間には再雇用契約を締結した事実はなく、したがって、原告らは被告会社の嘱託者の地位にはなく、賃金請求権も有しない。

二 解約権の濫用

1 原告ら

本件再雇用制度の規定上、被告会社が再雇用者を選任することとなっているが、このことは、特段の欠格事由のある場合に限り再雇用を拒否できるという解約権の留保であるが、この権限行使は、本件再雇用制度の趣旨・目的に照らし、客観的に合理的な理由が存在し社会通念上相当として是認することができる場合にのみ許されると解すべきである。

しかしながら、被告会社の原告らに対する再雇用拒否は、次のとおり、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認することができないから、解約申入れは効力を生じない。

原告甲野は、四一年間にわたり、原告乙山は、三九年間にわたり、それぞれ被告会社の業務を誠実に処理してきたし、心身ともに健康でもあり、今後も担当職務を誠実に実行する意欲を有していて、再雇用契約を締結するにつき何らの欠格事由もない。

また、原告らが勤務していた職場では、原告らと同一の職務を担当させるために高年齢の社外嘱託を採用しており、しかも、それらの者の賃金額は原告らが再雇用契約によって支給される賃金額を大幅に上回っている。

被告会社の原告らに対する再雇用拒否は、原告らの永年にわたる全損保東海支部における活動を敵視するという不当な目的・動機からなされたものである。

以上のとおりであるから、被告会社の原告らに対する各再雇用拒否は、右合理的な制約の範囲を超えたものであって解約権の濫用であるということができる。

2 被告会社

本件再雇用制度の選任基準から明らかなとおり、被告会社が定年退職者のうち何人と再雇用契約を締結するかは、被告会社の裁量により自由に決し得ることであり、被告会社が右裁量権に基づき原告らと再雇用契約を締結しなかったことについて不当視される理由はなく、もちろん不当労働行為にもあたらない。

再雇用の選任基準に関していえば、原告ら両名ともに、同人らをその定年到達時において特別嘱託として再雇用すべき業務上の必要はなかった。

(一) 原告甲野について

被告会社の主要な業務の一つに貨物海上保険があり、同保険を取り扱う営業部(以下「貨物営業部門」という。)においては、取引先からの申込みに応じて貨物海上保険証券を作成し、主要な取引先には指定の日時までに直接届けている。この貨物海上保険証券は、輸出の場合には船積書類の一つであり、銀行において貿易決済をするための必須書類であるため、指定の日時に間に合うよう正確に作成、交付しなければならないという特殊事情がある。貨物営業部門では、従前から、この貨物海上保険証券の配送業務に相当時間をとられていた。昭和五三年当時、貨物営業部門は貨物営業第一部・第二部・第三部と分かれており、各部の担当社員が配送業務にとられる労力を合計すると一日当たり八名分に相当すると分析されていた。そのため、貨物営業部門としては、担当社員の配送業務(申込書の受け取りを含む。)に要する時間の縮減が緊急の課題となっていた。そこで、貨物営業部門において、貨物保険証券及び申込書の授受業務を独立させ、専従の担当者に従事させてはどうかということが検討され、業務の性質上、定型的かつ単純な業務であることから、正社員に従事させることは適当ではなく、また、このような業務を責任をもって正確に遂行する適性を有する者としては信頼のおける年輩者が適当と判断されたため、社外から採用した嘱託社員でこれを処理することにした。

被告会社は検討の結果、自衛隊を五三歳前後で定年退職した年輩者を嘱託(貨物営業担当主任)として雇用し、貨物保険証券を取引先に配送する業務に従事させることにした。採用を開始したのは、昭和五三年八月一日の二名が最初で、その後貨物営業部門内においても、また取引先からも好評なところから、逐次増員し、本店貨物営業部門においては、一〇人前後の社外嘱託が配置されてきた。原告甲野が定年退職した月の平成五年三月三一日現在では、正社員の原告甲野以外は自衛隊出身の社外嘱託が一一名、パートが一名という状況であった。自衛隊出身の社外嘱託で貨物海上保険証券の配送業務を担当させるということは、結果的には職場のコミュニケーションが保たれ、連携・協力体制がうまく運ぶという効果を生み、貨物海上保険証券の配送業務が円滑に遂行される要因となった。

被告会社はこれまで証券配送業務の職場に、例外的に三名の従業員を配属した。そのうち、原告甲野と丙川松夫はともに、従前総務部に所属して資料等の印刷業務に従事してきたのであるが、昭和五八年九月三〇日をもって印刷業務が外注され、社内業務としては廃止されることになった。そこで、当時労務職(後に一般職)の両者の配転先を検討した結果、証券配送業務以外に適当な業務がなく例外的に配属した。また、丁原竹夫は本人の業務遂行能力等から他に適当な部署がなく、これも例外的に配属した。

このように、原告甲野以下三名の配属は例外的、救済的な処置であり、丙川や丁原が退職した場合でも、従業員による補充は行っていない。その結果、原告甲野が定年退職した際には、従業員は同人一人という状況であった。

ところで、原告甲野が定年退職するに際し、同時期に社外嘱託の若崎輝幸も退職することになっていた。そこで、被告会社は前述の証券配送業務の性質・運用の実態から、外部から採用した社外嘱託を充てるという方針に基づき、右若崎の後任として、同じ自衛隊出身の大塚道夫を採用し社外嘱託として配属した。そして、原告甲野は定年で退職し、被告会社は原告甲野を再雇用しなかった。

以上のとおりで、被告会社は原告甲野を再雇用すべき業務上の必要を認めなかったのである。

(二) 原告乙山について

原告乙山が勤務していた湘南損害サービス課は、主に、自動車保険の事故受付から保険金の支払までの処理を手掛けており、具体的な業務としては車両損害、対物賠償、対人賠償、搭乗者傷害等がある。原告乙山は、右業務のうち、対人賠償業務に従事していた。

対人賠償事故部門の要員は、昭和六二年までは原告乙山と社外嘱託の二名で担当してきたが、その後増員され、平成四年五月以降は、原告乙山と社外嘱託五名の計六名で業務を処理してきた。そして、原告乙山が定年で退職しても、同職場は残りの人員で円滑に処理することが可能な状況であった。よって、原告乙山を再雇用すべき必要は認められなかった。

原告らは、原告らを特別嘱託として再雇用した場合と社外嘱託とを新たに雇用した場合との被告会社の人件費負担上の損得を論じているが、その帰結の如何によって被告会社の再雇用制度の法的性格が左右される訳ではないし、また、企業における人事政策は、企業経営の方針、人員構成、業務の内容等の多様な要素から判断・決定されるのであって、人件費の比較はそのうちの一つにすぎない。社外嘱託と再雇用との人件費を比較すれば、原告らの主張のとおりであるとしても、このような経済的効率のみによって、人事政策が決せられるものではなく、原告らの主張は失当である。

原告らは組合活動を理由に再雇用を拒否している旨主張するが、平成四年四月以降再雇用された従業員の中には、全損保東海支部所属の組合員が多数おり、その中には同支部のみならず上部組織の全損保の役員として活動してきた者が多数含まれており、原告らの主張は理由がない。支部組合員の再雇用の状況は、渡辺清、池田忠夫、三浦喜八郎、岡田真一が再雇用されている。希望して再雇用されなかったのは、原告ら両名と戊田梅夫の三名であり、支部組合員についてみれば再雇用された者の方が多いのである。

三 給与規定の適用

1 原告ら

原告甲野は、別表(三)の特別嘱託(一般)第二段階・ハに該当する。原告甲野は、給与・臨時給与として少なくとも右規定に定める金員の支払を受ける権利を取得した。よって、原告甲野は被告会社に対し、原告甲野が被告会社の従業員としての地位を有することの確認、平成五年四月一日以降既に弁済期の到来した同年四月分、五月分の給与及び六月臨時給与の合計金八〇万七五〇〇円の支払、平成五年六月一一日から別表(一)「支払期日」欄記載の日限り同表「金額」欄記載の金員の支払をそれぞれ求める。

原告乙山は、別表(三)の特別嘱託(総合)第三段階・ハに該当する。原告乙山は、給与・臨時給与として少なくとも右規定に定める金員の支払を受ける権利を取得した。よって、原告乙山は被告会社に対し、原告乙山が被告会社の従業員としての地位を有することの確認、平成五年七月一日から別表(二)「支払期日」欄記載の日限り同表「金額」欄記載の金員の支払をそれぞれ求める。

2 被告会社

争う。

第三  争点に対する判断

一  再雇用契約の成否について

《証拠略》、前記争いのない事実並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

1 被告会社における定年制の推移について

従前、被告会社に期間の定めなく雇用された従業員の定年は満五五歳であった。これに対して、東海労組は、昭和四八年一一月二二日、被告会社に対し、右定年の延長を要求した。その内容は、当時、被告会社の就業規則において満五五歳定年であったものを、経過期間を設けて毎年度一歳ずつ定年を延長し、昭和五三年度から満六〇歳にするというものである。これに対して、被告会社は時期尚早として応じなかった。

その後、被告会社は東海労組との間で、中央労使協議会の諮問機関として中高年問題専門部会を設け、主に高齢従業員の雇用機会の拡大について検討を重ねた。右中高年問題専門部会は昭和五五年一月一〇日に第一回目を開催したのを皮切りに計九回開催し、雇用機会の拡大策として、定年の延長、勤務の延長、再雇用といった各種形態を協議、検討した後、同年七月二五日、中央労使協議会に答申を提出した。この主要な点は満五五歳定年を迎える従業員について、再雇用を希望しない者や健康上問題のある者を除く全従業員を対象に完全再雇用する形態を答申するものであった。また、右完全再雇用形態による満六〇歳までの雇用延長が論議された際には、将来従業員が満六〇歳に到達した場合に、その後の処理について何らかの対策を講じる必要があるという議論が交わされたが、これは、当時既に満五五歳の定年に達した従業員を六三歳まで選別的に再雇用する制度があったため、この制度とのバランスを考慮する必要があるということから、この点は将来の検討課題とされた。

そこで、被告会社は、右答申を踏まえて定年問題を検討した結果、答申にある完全再雇用の形態ではなく、定年年齢を満六〇歳に延長することとし、満六〇歳定年制を昭和五六年四月一日から実施することとした。従業員の身分については、満五五歳を超える者を「特別従業員」とし、満五五歳以下の者を「一般従業員」としたが、特別従業員となった者のうちでも、従前管理者であった者は専任職となり、それ以外の者は担当職とした。

被告会社の現行の定年制は、就業規則四八条において「従業員の定年は、満六〇歳とする」と規定し、期間の定めなく雇用された従業員は、定年に達した日の属する四半期の末日をもって当然に退職することとしている。

2 再雇用制度について

(一) 本件再雇用制度の母体

被告会社には、満五五歳定年制施行当時、既に、定年退職者の雇用機会の場として満六三歳まで嘱託として再雇用する制度が存した。これは、退職時に管理者であった者の中から、被告会社が業務上必要とする者に限り、満六三歳まで選別再雇用するという制度である。

その後、前記の経緯で、被告会社は、昭和五六年四月、定年を満六〇歳に延長したが、その最初の該当者が出ることになる昭和六一年に定年退職した元管理職を対象に再雇用制度を創設した。

(二) 再雇用制度の創設

(1) 被告会社は、昭和六一年四月一日、満六〇歳に達した元管理職の従業員を対象にした再雇用制度(以下、この制度を「旧再雇用制度」という。)を実施に移し、旧再雇用制度は昭和六一年四月から平成四年三月の改訂時まで続いた。

(2) 旧再雇用制度の概要

旧再雇用制度の具体的な内容は以下のとおりである。

ア 対象資格

定年時に専任職(七段階以上)の特別従業員であること。右条件により、対象資格者は元管理職の従業員ということとなる。

イ 選任の基準

被告会社が業務上必要と認めた場合に、次の基準を満たす者の中から選任する。

特別従業員としての勤務実績が優れ、将来担当職務を誠実に遂行する意欲を有すること。

心身ともに健康であること。

ウ 再雇用後の身分

再雇用・一般嘱託とする。

エ 雇用期間

雇用期間は一年とし、満六三歳の誕生日の前日に属する四半期の末日までの間は、嘱託契約を更新することができる。

オ 職務

長年の知識・経験を活かすのに相応しい専門的職務を会社が指示する。

カ 就業条件等

被告会社所定の再雇用・一般嘱託の就業条件・処遇条件による。

(3) 旧再雇用制度下の再雇用の状況

元管理職を対象資格にした旧再雇用制度が実施された昭和六一年四月から平成四年三月までの期間において、再雇用希望者二四名に対し一九名が再雇用され、残り五名が不採用となっていたが、この不採用者の不採用理由は、現在判明している限りによると、うち二名については業務上の必要性がないとするものであり、うち一名については健康面で若干不安があったことと勤務状況、業務上の必要性とを総合的に勘案した結果によるものであった。

(三) 旧再雇用制度改訂についての労使の交渉経過

旧再雇用制度は、その後の労使交渉により、対象者を全従業員に拡大することとなった。

(1) 東海労組との交渉経過

被告会社と東海労組とは、平成三年一〇月、中央労使協議会の諮問機関として新人事制度専門部会を設置した。右専門部会において被告会社と東海労組とは、「社員が積極的にチャレンジできる新しいライフステージを創る」との観点から広範囲にわたる検討事項につき検討を行った。その内容を大別すると、「チャレンジする女子社員のための新しいライフステージ関連」と「チャレンジする中高年齢層のための新しいライフステージ関連」に分けられ、後者の中で、再雇用制度についての改訂の問題が検討された。新人事制度専門部会は、平成三年一〇月二三日に第一回目を開催し、一〇回にわたって論議・検討を重ねた後、平成四年七月二〇日に中央労使協議会に答申した。

この間、旧再雇用制度の改訂問題は、主に、平成四年一月一四日開催の第四回新人事制度専門部会において論議されたが、その席上、同制度の改訂の目的、改訂内容の概略等について、以下のとおりのやりとりがなされた。

ア まず、改訂の目的について、被告会社は以下のとおりの発言をした。

旧再雇用制度については、現段階においても同様の制度がない、あるいはあっても満六一、六二歳までの雇用機会の拡大といった会社が多いなか、昭和六一年四月に創設したものである。内容については、対象資格を元管理職に限定して被告会社の選別により満六三歳までの雇用の道を開くものとなっているが、満六〇歳以降も被告会社で働きたいと考えている元総合職・一般職も確実に増えており、こうした人たちのために新しいライフステージを作るという観点から、再雇用制度を改訂し、元総合職・一般職まで対象資格を拡大したいと考える。

イ 次に、改訂内容について、被告会社の事務局から、被告会社の試案についての考えが以下のとおり説明された。

<1> 資格

元管理職に限定していた対象資格を、元総合職・一般職まで拡大することとしたい。

<2> 運営方法

旧再雇用制度と同様、元総合職・一般職についても、被告会社が(イ)業務上の必要性、(ロ)勤務実績、(ハ)健康等を考慮し、選任することとしたい。

<3> 職務内容

現行制度と同様、これまでの職務体験を踏まえた職務を考えている。

<4> 処遇

給与体系については、現行体系を引き継いだものにするか、他の損保会社の多くが導入している厚生年金受給方式を採用するか検討中である。

ウ これに対して、東海労組側から次のような意見が出された。

旧再雇用制度を改訂し、対象者を元総合職・一般職まで拡げる点については望ましいものと考えるが、公的年金の満六五歳支給などの動向や、国も高齢者雇用安定法により満六五歳までの雇用機会確保を推進していることなど、高齢化社会の進展に伴う世間の動向をふまえ、中高年齢層の積極的な活用を図っていくとの観点からはできる限り早期に満六五歳までの雇用確保を図る必要がある。本改訂はそれに向けた一つのステップと考えている。

エ さらに、改訂制度における再雇用対象者の選任方法については労使間で次のようなやりとりがなされた。

(東海労組)

運営方法については、旧再雇用制度と同様、被告会社による選任となっているが、極力雇用の機会を拡げるとの観点から、再雇用の客観的基準を明示し、可能な限り本人希望を尊重して積極的に雇用拡大を図っていくべきであると考える。

(被告会社)

本人の希望は極力尊重するが、満六〇歳以降のものについては、意欲・健康等の面で満六〇歳以前と比べ個人差が相当あることも事実であり、希望者全員を再雇用することは難しいと考える。

以上の改訂交渉を経て、被告会社は、平成四年一月、東海労組に対し新制度として本件再雇用制度を提案したところ、東海労組はこれを受諾し、平成四年四月、改訂された本件再雇用制度が実施されることとなった。

なお、答申が本件再雇用制度の実施から約三か月遅れて平成四年七月になされたのは、新人事制度専門部会の検討事項が広範にわたり、全体を答申の形にまとめるのに時間がかかったこと、他方、旧再雇用制度の改訂につき労使間で既に合意をみたものについては、答申を待つまでもないということで先行実施となったためである。

(2) 全損保東海支部との交渉経過

原告らが所属する全損保東海支部は被告会社に対し、昭和六三年一〇月二一日付けで再雇用制度の創設に関する要求書を提出し、満六五歳までの再雇用制度の創設を要求し、「再雇用は希望する全員に適用するものとする」との完全再雇用形態を主張した。その後、同支部は被告会社に対し、平成元年一〇月二五日、満六三歳に短縮して再雇用制度の創設を要求したが、そこでは、「この制度は本人の希望により適用するものとし、系列、職能段階等による基準や被告会社の一方的選任は認めない」と主張された。さらに、同支部は、平成二年一〇月二五日付け要求書で、前年に出した平成元年一〇月二五日付け要求書で要求した再雇用制度の早期実施を要求した。

これに対して、被告会社は前記東海労組との論議の経過も踏まえて、全損保東海支部に対して、平成四年一月二八日、業務上の必要性、勤務実績、健康状態といった三つの基準を総合勘案して、被告会社が再雇用の対象者として選任するか否かを決定するという選別雇用を内容とする再雇用制度の改定案(東海労組と合意した内容と同一のもの)を提示した。全損保東海支部は同年二月五日の団交の席上、被告会社の改定案を何らの留保も付さず無条件で受諾した。

同支部は、平成四年二月七日、同支部の組合員らに対し、「再雇用嘱託(六〇歳)制度に関する件」と題する文書を配付した。同文書には「1、東海支部の要求と会社の回答の対比」という項目があり、その中で選任基準について、全損保東海支部は、要求として「本人の希望により、系列・組織段階等による基準や会社の一方的選任は認めない」旨主張したのに対し、被告会社の回答は「会社の選任による」というものであったことが明記され、また「2、会社回答の問題点とその後の交渉内容」の項では、「<3>選任基準」として、被告会社の回答は「会社が選任する」となっていることを再掲し、同支部としては、被告会社が万一再雇用を拒否した場合には労使協議をするよう強く申し入れたことが記載され、最後の「4、今後のすすめ方」の項において、被告会社の回答の内容で既に二月五日に制度新設について合意したことが記載されている。

再雇用制度を現行のものに改定した後も、全損保東海支部は、毎年の要求の中で、「会社の選任による」との任用基準を「希望する者すべて」に改めるよう繰り返し要求している。

(四) 本件再雇用制度

(1) 本件再雇用制度の改訂と従業員への周知

右の経過を経て、被告会社は平成四年四月一日旧再雇用制度を改訂・実施した。被告会社は、再雇用制度の改訂に際し、平成四年三月九日人事企画部長からの各部門の管理者宛の連絡文書で右改訂内容を通知した。

(2) 本件再雇用制度の概要

右改訂制度の概要は以下のとおりである。

ア 改訂趣旨

満六〇歳以降も被告会社で働きたいと考えている元総合職・一般職に新しいライフステージを提供するか等の観点から、従前元管理職に限定していた対象資格を元総合職・一般職といった一般の従業員にまで拡大するものである。

イ 対象資格

満六〇歳の定年で退職した従業員(元特別従業員)。

ウ 選任基準

被告会社が業務上必要と認めた場合に、次の基準を満たす者の中から選任し、「特別嘱託」社員として雇用する。

<1> 従業員としての勤務実績が優れ、今後担当職務を誠実に実行する意欲を有すること

<2> 心身共に健康であること

エ 雇用期間

一年間とする。満六三歳の誕生日の前日の属する被告会社の四半期の末日までの間は、嘱託契約を更新することがある。

オ 職務

永年の被告会社で培われた経験・知識を活用しうる職務を被告会社が指示する。

カ その他の就業条件等

嘱託就業規則による。

なお、給与水準は、加算年金込みで定年退職時の年収の七五パーセント程度に設定する。

キ 適用対象者の特例

平成四年三月末の定年退職者から適用する。

(3) 再雇用対象者の選任と契約手続

満六〇歳定年で退職する従業員の中から、被告会社が再雇用する対象者を選任して、嘱託契約を締結するまでの手続の概要は以下のとおりである。

ア 満六〇歳定年に達する従業員について、退職予定日の概ね六か月前に人事部から所属長に対して、従業員が再雇用の希望を有しているか否かの報告を決め、従業員が再雇用の希望を有している場合には、所属長は、その旨及び選任基準に関して、当該職場の業務の状況、本人の勤務状況、健康状態、再雇用すべき業務の必要の有無等を人事部に書面で報告する。

イ 人事部においては、所属長の報告内容、人事資料等をもとに、再雇用すべき業務上の必要性、在籍中の勤務実績に基づく再雇用後の勤務の見通し、再雇用後の勤務に耐えられるだけの健康状態を総合的に検討し、再雇用の対象者として選任するか否かを決定する。右業務上の必要を検討するにあたっては、当該職場の業務の状況、人員の構成、被告会社の方針その他を総合的に判断する。

ウ 右結果については、所属長を通じて、遅くとも定年退職の日の二、三か月前までには本人に対し通知する。

エ その後、再雇用予定者については、再雇用契約前に健康診断を実施する。

オ 被告会社は、再雇用予定者の定年退職時に、新たに再雇用契約を締結し特別嘱託として引き続き雇い入れる。その際には、「再雇用嘱託契約書」を作成する。同契約書では、担当職務(一条)、所属部署(二条)、契約期間(三条)等を定める。契約当事者として、被告会社側は人事部門の責任者(人事・組織企画部長)がこれにあたる。

(4) 本件再雇用制度下の運用の状況

平成四年四月一日以降の再雇用の状況は、以下のとおりである。

平成四年度において、定年退職者一八名のうち、再雇用を希望した者は一一名であり、このうち不採用となった従業員は、甲田夏夫(平成四年六月三〇日退職)、戊田松夫(同年一二月三一日退職)、乙原秋夫(元管理職、同年一二月三一日退職)の三名である。平成五年度は、定年退職者一七名のうち、再雇用を希望した者は一四名であり、このうち不採用となった者は原告両名のほか、丙野冬夫(平成五年九月三〇日退職)、丁川春子(同年六月三〇日退職)、戊野夏子(同年六月三〇日退職)、甲原秋子(同年六月三〇日退職)の計六名である。平成六年度は、定年退職者一五名のうち、再雇用を希望した者は九名であり、このうち不採用となった者は乙川一郎(平成六年六月三〇日退職)の一名である。

以上のとおり、本件再雇用制度において、改訂後三年間に再雇用を希望した三四名中二四名が採用され、一〇名が不採用となっており、その採用率は約七割である。

二  以上認定したところによると、本件再雇用制度は、この制度が実施される前に存した対象資格者を元管理職の従業員に限定していた旧再雇用制度を満六〇歳以降も被告会社で働きたいと考えている元総合職・一般職に新しいライフステージを提供する等の観点から対象資格者を元総合職・一般職といった一般従業員にまで拡大する趣旨で改訂したものである。

本件再雇用制度実施にあたっては、再雇用対象者の選任については被告会社にその決定権限があることを東海労組も認めており、旧再雇用制度を本件再雇用制度に改訂する過程において、東海労組は被告会社に対し、本人の希望を尊重して積極的に雇用拡大を図るべきであるとの意見表明がなされ、これに対し被告会社は、満六〇歳以降は意欲、健康等の面で個人差が相当あるので希望者全員を再雇用することは難しいと考える旨の意見表明をなし、結局東海労組も被告会社提案を了承したというのであり、全損保東海支部も希望者全員を当初は満六五歳、その後は満六三歳まで再雇用すべきであるとの主張をしたのに対し、被告会社は、業務上の必要性、勤務実績、健康状態を総合勘案して被告会社が選任するという回答をし、同支部も団交の席上で被告会社案を無条件で受託し、被告会社も右回答に従った再雇用者の選任をしてきたというのである。

以上の本件再雇用制度改訂の経緯等に鑑みると、本件再雇用制度については、被告会社は、選任基準を満たした満六〇歳の定年退職従業員のうちから特別嘱託社員として採用するか否かの決定権限を有していると解すべきである。

原告らは、本件再雇用制度にあっては、満六〇歳の定年退職従業員が被告会社に対し再雇用の意思表示をすることにより、当該従業員と被告会社との間に、就労の始期を定年退職の日の翌日とする再雇用契約が成立する旨を主張するが、この原告らの主張は、本件再雇用制度上は認められない独自の見解を主張するものであって、到底採用することはできない。

そうすると、被告会社が原告らを特別嘱託社員として採用していない本件にあっては、その余の点について判断を進めるまでもなく、原告らの主張は理由がない。

(裁判長裁判官 林 豊 裁判官 小佐田潔 裁判官 三浦隆志)

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